或るポケモンサイトの一生 Part.1
2003年9月7日、「ポケモン工房」というWebサイトが、「人天道」という一人の男の手によってインターネット上に爆誕しました。そう、2013年はポケモン工房10周年の年なのです。(最も、これは当時ちゃんと公開日を記録していたのではなく、タイムスタンプかなんかで後日分析したものです。ですから正確性については疑問符がつきますが、9月というは確かです)せっかくの機会ですから、『ポケモン工房誕生10周年記念シリーズ「私が見たインターネット10年史」』と題して、10年間のことをいろいろ語ってみようと思います。
ポケモン工房誕生10周年記念シリーズ
「私が見たインターネット10年史」
第一章 或るポケモンサイトの一生 Part.1
第二章 或るポケモンサイトの後を継ぎしブログ
第三章 他に手がけたサイト達
第四章 ポケモンサイト今昔
第五章 「人天道」「ぼくや」という人格
第六章 廃れゆくもの、生まれゆくもの 〜インターネット10年間の変遷〜
最終章 リアルと近接するインターネット 〜インターネットが向かう先〜
※他の章に関しては予定です。途中で追加・削除等の変更が行われる可能性があります。
※年内に完結させたいこのシリーズでしたが、今頃執筆を始めた上に就活が始まるため年内完結は難しいかもしれません。しかし、遅くとも年度内には完結させたいと思います。
ポケモン工房爆誕のキッカケ
ポケ工爆誕のキッカケは今でもちゃんと覚えています。10年前の私は小学5年生の11歳、PC・インターネットを遊び道具として見出し始めていた頃であり、ネットの世界をいろいろ彷徨ったりしていました。ゲーム好きな少年で、「ポケモン」は好きなゲームの1つでした。
ある時、「ポケモン 裏技」とかで検索していたらあの「ぽけ者」のページに辿り着きました。ぽけ者といえば合成ポケモンをメインにした人気サイトの1つです。当時のぼくや少年はコミュ力があったのか知りませんが、掲示板に書き込むようになったのです。そのときのハンドルネームは「人天道」。えぇ、ポケモンの発売元の「任天堂」をもじったものですw でまぁ、まず私がネットデビューを果たします。そしてぽけ者に触発されて、「俺もやってみたい」と思い、ポケモン工房が爆誕することになったのです。
ポケモン工房の制作
ポケ工は当時日本IBMが開発・販売していた「ホームページビルダー」によって制作されていました。HPBは、ぽけ者管理人の「おじ」さんに教えてもらったのか、自分で探したかは忘れました。でも、ぽけ者はHPBで作られていたし、おじさんから「私はエディターズで作ってます」みたいな助言を頂いた記憶もあります。HPBは1万円ぐらいするソフトでしたが、親にHP作るから買って!と言ったら結構あっさり買ってくれましたね。子供のクリエイティビティを尊重する親に感謝←
そしてHPBで制作されることになったわけですが、当時はあの悪夢の「どこでも配置モード」で作られていましたw 素人でも直感的にWeb制作ができるのはいいと思いますが、あれは本当に酷いものでしたね。
コンテンツは、ぽけ者の影響を受けているのでメインはもちろん合成ポケモン。合成ポケモンとは、ポケモンのドット絵を切り貼りしたりして、新しく作られたポケモンのことで、当時のポケモンサイト界隈では結構人気のあったコンテンツだったと思います。
ここで、「ポケモン工房」という名前の由来についてお話しましょう。当時はサイト名をどうするか、大変悩んでいました。そんな中、父が「ポケモン工房なんて、どうだ?」と言ったのがそのまま採用されたのです。父は私が具体的にどんなサイトを作っているかは知りませんでしたが、合成ポケモンを作るサイトということで「工房」もあながち間違っていなかったし、悪くなかったのでそのまま採用しました。「ポケモン工房」と命名したのは人天道ではなくて父だったんですね。
制作中の出来事はあまり覚えていませんが、なにかに困っていた時に、父が通っていたパソコン教室の先生に来てもらったこともありました。「一人でここまでできたならすごい」などと褒められて嬉しかった記憶があります。
ポケモン工房、爆誕
そして、2003年9月7日、ポケモン工房のファイルが当時使っていたISPのサーバーに転送され、インターネット上に爆誕しました。ISPのをそのまま使っていて、本名の苗字が豪快にバレていたのですが、何故かあまり気にせず使っていましたw Web Archiveで当時のページが見れますが、当時は全然技術力がなくてしょっぼいサイトです。たぶんぽけ者ぐらいしか告知する場所がなかったので、やはりぽけ者の人が中心に来ました。
ポケモン工房、PokemonMediaの1年半
ポケ工はPokemonMediaと名前を変えたりしながらおよそ1年半続きました。そのとても濃い1年半のことを語りたいと思いますが、すっごく長くなるので、以下からは主にデザイン(リニューアル)で区分して、時系列で語っていこうと思います。第一期から第六期まで6つに分けました。記憶も曖昧なので、Web Archiveを参照しながら書きました。
第一期(創成期)(2003.9〜12?)
▲2003年9月20日のアーカイブ。HPBのどこでも配置モードで制作。画像はほとんど残っていないが、HPBのロゴ作成機能や、プリセットの画像を使用していた。【原寸大画像】
HPBによるどこでも配置モードで、テキスト中心でデザインもしょぼかったものです。メインコンテンツは合成ポケモンで、他にチャット、雑談・ポケモン・お絵かき掲示板、リンク集がありました。掲示板に書き込んでくれた人を「住民」として、ページにまとめたりしていました。画像が少なく華々しさはあまりありませんでしたが、お絵かき掲示板で募集した絵をトップ絵として飾らしてもらったりしていました。当時の個人サイトではよくあったものですね。当時は「僕の見た秩序。」などのテキストサイトの全盛期で、それにも触発されて「独り言」なるユーモア系のテキストコンテンツがありましたが、トップ絵の下に数行あるのみでした。後に「独り言」は人気コンテンツになるのですが、当初の扱いは小さなものだったのですね。当初はそういった品揃えでしたが、後に合成、裏技・小ネタ、裏技掲示板、素材、が追加されました。ちなみに裏技に関しては掲示板で提供されたものばかりでした。裏技はどこも似たようなもんしか載せませんから、自分で書いて転載だ!とか言われても困るので、提供物にすることでそういった指摘をかわす狙いがあったと思います。
コミュニティはやはりぽけ者を中心としたつながりの人が多かったようです。
当時は隠しリンクを使って隠しページを用意し、隠しページにあったパスワードを掲示板に書き込むと専用アイコンをプレゼントするという企画がありました。HTMLに疎かったので難易度も低く、簡単に発見され、次々に専用アイコンが作られていった記憶があります。ただ、専アイ目的で定着せずパスワードを書き込むだけの人も結構いて、はぁ、、、ってかんじでしたね。
また、「保管庫」と題してリニューアル後に使う画像とかをおいてチラ見せするという謎の行為をしていました←
実は、この時は副管理人制が取られており、仲の良かったリア友をあてていました。しかし実際は名誉職みたいなもので、彼は制作にも管理にもタッチしていませんでした。第二期か、そのあたりには副管理人制は名実ともに廃止されたようです。
▲2003年10月4日のアーカイブ。ややコンテンツが増え、デザインもブルー系に。そういえば9月はイエロー系だったかな。背景画像はHPBプリセットの雲の画像だった。【原寸大画像】
こぼれ話1 親切なISPサポートの人
当時採用されていたチャットはフレーム&リロード方式のリアルタイム性にかけるものでした。大福チャットという、Javaを利用したリアルタイムで会話のできるチャットがぽけ者とかで使われていて人気だったのですが、当時は設置に難儀していたようです。(掲示板に大福チャットを勧める人がいましたが、当時の僕は何故か設置できないと言っていたログがありました)
大福チャットにはJava版ともう一個あったのですが、Java版と間違ったのかよく分かりませんが、Javaとは違うバージョンのものを設置したこともありましたが、結局上手くできず、そのまま放置。
そしてある時、サーバーメンテナンスが行われたのですが、ポケ工はいつまで経ってもアクセス不能から回復しないという困った状況に。ISPに問い合わせをして直してもらったのですが、返信メールにチャットが動いてないようですがこうしたらいいじゃないです?みたいなチャット設置に関するアドバイスがありました。サービスの質が高いのか、それとも明らかに小学生が作ったサイトだから教えようと思ったのか・・・w ちなみにそのアドバイスを持ってしてもチャットは上手く設置できませんでした。つーか助言の内容がよく分かっていなかった記憶があります←
ちなみに、大福チャットも10年の間に更新がとまり、いつのまにか提供を終了してしまったようです。提供元は大福屋というところなんですが、今もあまり活発ではないようです。