wan-dabadabadaba

My scat echo...

或るポケモンサイトの一生 Part.2

>>Part.1

【連載再開のご挨拶】
えー、長らく放置されていたこの『ポケモン工房誕生10周年記念シリーズ 「私が見たインターネット10年史」』の連載を再開したいと思います。「連載」といってもまた1記事しか出てないのですがw その記事も去年の11月という・・・。まぁポケ工11周年が2014年9月7日なので、それまでに書けば10周年ですから(氏
そもそも10周年の2013年9月にちゃちゃっと書く予定が、同時期に試しにプレイしてみたPS3The Last of Usのオンラインマルチプレイに中毒的にハマってしまい、手がつかないままズルズルと伸び、第1回が11月末へ。12月になったら就活が始まりますから、休載の絶好の言い訳となり続きが書かれることはなく。内定も5月末には貰ったのですが、やはりTLoUの中毒もとい依存症で手がつかず。このままだと11周年になってしまうというわけでようやく書き始めます。正直今帰省中なのであまり気分が乗らないっていうのはあるんですが・・・。まぁ執筆後、気がついた時にでも加筆修正はどんどんしていこうかなと。

第二期 –黄金期-(2003.12?〜2004.3?)

f:id:bokuya:20140811182346p:plain
▲2003年12月6日のアーカイブ。画像が多用されリッチな感じに。コンテンツバナーで「裏技・小ネタ」と書くつもりでポケモンゲーム内文字ドットで「しょうネタ」と打ってしまう小学生ならではの低知能っぷりを披露している。【原寸大表示】
 第二期は第一期と打って変わって画像を中心としたトップページデザインとなりました。HTMLも、HTML小技集やみんなのタグ辞書などのHTML解説サイトなどを見ながらして、だんだんと分かってきました。あのプルダウンメニューの色を見るに、あれはHTML小技集から引っ張ってきたものでしょう。12月のアーカイブを見ると「ポケモン工房宣伝部隊」なるものがあるのですが、これは一体何なのでしょうwまぁ宣伝広報活動の重要性がわかったのかもしれませんが、「宣伝部隊」とは。この頃から合成と共に「コミュニティ」も軸とする制作・運営をしていて、コミュニティコンテンツがやたら出来ていました。雑談、ポケモン、裏技、Flash、画像、新聞、連絡、サポート各掲示板、チャット、お絵かきチャット・・・。新聞掲示板とは最新情報に関する書き込みや、創作ニュースを書き込んだりする掲示板です。意味不明ですね← 連絡掲示板とサポート掲示場は区別がつきません。最終的に掲示板は11まで増えたようです。コンテンツがたくさんあると見せることで豪華な感じにして人気獲得を目指したかったような記憶があります。2ちゃんねるやぽけっとぱーくの影響もあったのかもしれません。
 12月の頃はクリスマスイベントなるものが開催されていたようです。何をしてのかよく覚えていませんが、クリスマス掲示板みたいなのを作っていた覚えがあります。雪が舞うGIF壁紙が印象に残っていますね。
 この時期は多角化拡大路線が明確になり、発売が迫っていたファイアレッドリーフグリーンの最新情報や、攻略、ポケモン関連のニュースも扱い始めていました。また、これは別の要因ですが独り言も独立コンテンツ化。1月には「ポケ工@HPのススメ」なるWeb制作指南ページ(サイト?)を別館としてオープンしていました。独り言は結構人気になりまして、他サイトのリンクの紹介で「独り言が面白い」と書かれることもありました。しかし、今見ると黒歴史の塊でもあります。
 多角化拡大路線は、アクセス数、人気を上げるためのもので、当時は人気獲得にかなりこだわっていたようです。当時の独り言のアーカイブを見ると、人気・アクセス数に言及したものがいくつかありますし、攻略コンテンツを導入した経緯についても、

FR・LGが発売されたのですが、
新作GBAが出るのって、実は・・・・
合成及びドット絵業界に大打撃。
よく考えて見ましょう、新作となるとポケモンのドット絵やステータスが変わります。
ですのから、
今まで作ったものは時代遅れ。
となるのです。
だから新作ソフト発売から数ヶ月はドット打ちとかしないと、時代遅れとなるんです。。。
ドット打ちとなると正確性がとわれるので、ある程度の腕がない人の合成/ドット絵サイトは
数ヶ月の間、時代遅れの作品を作ることになるんです。
だから、一つの手として、攻略を進めてるんです。(以下略

と合成停滞を予測したリスクヘッジだったようです。最も、今読んでみるとちょっと意味が分からないのですが。
新作発売となり、旧ドット絵は時代遅れとなってしまう。だから新ドット絵が必要で、ドット打ちをして作らないといけないが、時間がかかる。ということでしょうか。でも、ゲームから吸いだされたドット絵素材配布サイトとかありましたし、わざわざ自前でドット絵を作る必要はないし、そんなことしてた人なんていなかったと思いますが…。そもそも新作が出て旧作ドット絵を使うことがそんなにまずいことなのかと。まぁ小学生の考える事なんて分かりません(氏
 また、ぽけ者界隈で「リヴリー」が流行り、僕もやり始めて、ポケ工からリンクを貼っていました。
 合成ポケモンに関しては、「MyRoom」というコンテンツが追加されました。ポケモンを合成するのではなくて、部屋を合成するというものです。ぽけ者に似たようなものができたので、それに影響されたんだと思います。ぽけ者はJavaScriptで自由に配置して遊べるというものだったと思いますが、そんな技術はないので普通に画像コンテンツとなりましたw 他にも「合成レベル審査」とかいう意味不明な奴もありましたw 合成画像を送ると、合成のレベルをS〜Fでランク付けするというものです。いやー、なんて上から目線なのでしょうw 自分のことはD+と割と控えめな評価でしたが、他の人にEとかFとか普通につけてましたw  アーカイブを見ると「リッキー」という方が唯一Sランクを獲得していました。
 また、第一期と第二期はBGMが流れるようになっていました。当時の個人サイトではよくあったもので、時代を感じます。第二期こそ選択式になっていますが、第一期は勝手に流れる迷惑な仕様でした。時代を感じると言えば当時は右クリック禁止、キーボード入力禁止というこれまた迷惑な仕様でした。転載防止のための策で、当時の個人サイトにはたまにありました。最も、ある程度PCスキルがある人には無意味なのですがね。
f:id:bokuya:20140811182925p:plain
▲2004年1月26日のアーカイブ。トップページ軽量化のため全体的にすっきりした。このコンテンツバナー結構好き。またFaviconを覚えたらしくよく分からない画像が設定されている。【原寸大画像】
第二期のデザインは1月になると少し改良が加えられ、画像をちいさくしてすっきりめな感じになりました。更新履歴を見るとトップページを軽量化するために小サイズ画像に変えたり、独り言をトップ設置から独立コンテンツにしたみたいです。どっかのサイト制作指南サイトでページ容量のことが言及されていたのでしょう。これらの軽量化は「TC計画」と名付けられているようですが、TCが一体何の略なのか分かりませんw きっとエキサイト翻訳して頭文字を取ったのだと思いますが。
 また、この第二期は黄金期でもあったようです。独り言を見ると、冬休みは1日約1500HITしてたとかあったので、冬休み時期は1500アクセスを達成していたようです。これまでずっと4桁アクセスを記録していたのは第三期(春休み)だけで、そこが全盛期だと思っていたのですが…。でも、サイト開設4ヶ月で1500アクセスはお休みブーストがあるにしても、すごくないですか?(まさかのここで自画自賛) まぁその独り言は、冬休みは1500HITしてたのに最近は1000すらいかねぇ!という内容のものなんですがw ちなみに当時使用していたアクセスカウンターはCGIBOYのものでした。Flashを利用したもので、日間アクセス数と、1週間のアクセス数推移グラフが表示されるものでした。日計カウンタがあると人気度がわかるので、日間アクセス数の表示は重宝しました。CGIBOYは他にも様々なレンタルCGIを提供していましたが、今はCGIBOYブランドは消滅し、前略プロフィールのみが残っているようです。(前略プロフィールも随分と姿を変えていますが・・・)

こぼれ話② ぽけ者の絶大なる影響

ぽけ者はポケ工誕生のきっかけとなったサイトだけあって、ポケ工に絶大な影響を及ぼしました。My Roomがぽけ者の影響であるとは既述のとおりですが、他にもいろいろあります。まずロゴ風文字。ポップ体の文字をHPBどこでも配置モードを使って、濃い文字と薄い文字を重ねて、豪華な感じを演出する手法も、ぽけ者にあったのをパクりました(コラ)。
 これから書く第四期あたりに採用された”Chat Enter”もぽけ者から取り入れたものです。大福チャットはJavaだから重い、だけとコンパクトだし人が集まるトップページにあったほうが良い。そこで、大福チャットを置くところをフレームにして、最初はエンターページとしてダミー画像にリンクを重ねたものを表示。Chat Enterをクリックしたらフレーム内でチャットページへ移動するという方式により、デザインと軽さ・利便性を両立したもので、よく考えたなぁと思います。
 また、第四期の極短い期間にポケ工はモノクロームなデザインを採用していたようですが、もしかしたらぽけ者がモノクロームなデザインをしていた時で、これもまたぽけ者の影響だったのかもしれません。
リヴリーも、既述の通りぽけ者のおじさんの影響です。おじさんが始めたらぽけ者界隈の多くの人がリヴリーを始め、リヴリーの方で交流したりとかもありました。
 ほんと、ぽけ者は偉大なサイトです。

こぼれ話③ リアルとの接点

 ポケ工の存在はリア友にも教えていました。そこで、ポケ工に来てくれる人が何人かいて、その中では「ポケ工仲間」などと呼ばれていました。時たまコミュニティにも参加していましたね。いつもよく遊ぶとかいうような強固なグループではないのですが、ポケ工を接点にそこそこ交友がありました。
 ポケ工の存在はリア友にとどまらず、担任の先生も知っていて、ある時僕が学校を体調不良かなんかで休んだ時に、掲示板に先生から「治りましたか?」などという書き込みがあったほどです。当時の僕は「完治しました!」と返信したにもかかわらず、その翌日は学校に行くのがだるくてズル休みした思い出があります←

次回はポケ工の大きな転換期となった第三期について語ります。

《Part.3へ続く》